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島野さん、安らかにお眠りください ありがとうございました
2007年12月19日 (水) | 編集 |





星野弔辞全文

 弔辞。こんなに早く弔辞を読むなんて、想像もしてませんでした。ジャパンの合宿の折り、北京には絶対行くから、頑張れよと言ってくれた島ちゃん。本当はあの弱々しい姿を見たとき、僕は覚悟してました。島ちゃん、覚えてる? ワシらが知り合ったのは1970年、昭和45年だった。先輩に紹介され、あれから37年。死んだ女房より、付き合いは長かった。あの頃は楽しかったね。そして、ワシが監督になった時に、一番に「島ちゃん、支えて」と、そう言ったことも、昨日のことのように覚えています。
 島ちゃんには、よう怒られた。ワシもよう、島ちゃん、怒ったし…。試合の途中で、もうどうにでもなれ、こんな試合しやがってと、何度もあきらめた。そんなとき、必ず島ちゃんは、試合後に「いつもワシらは選手に何を言ってるんだ。最後の最後まで試合をあきらめたらアカンと、そう言って、指導しとるやないか。そのアンタが、監督で、あきらめてどないするんや」。そう言うて、よう叱られました。
 思い出せば、数々の思い出がいっぱいあります。今回、アジア予選で、島ちゃんのいない監督を初めてやりました。不安でしょうがなかった。島ちゃんなら、どうする? こういう時、選手にどう言ったらええ? そのとき、島ちゃんは「監督の思い通りにやればええやないか」、必ずそういう答えが。「自分の直感を信じろ」。必ず、そういう答えが返ってきました。
 韓国戦…。もうほんまに監督なんて嫌や…と、何度も試合中に思いました。でも、島ちゃんはそのとき、必死に自分と戦っていた姿を思い出すと、そんなわがままを言っちゃいかんと、野球ができる幸せをもっともっと噛みしめろと、そう聞こえてきました。
 最後に会ったとき、もうひと山越えたら、また一緒に野球ができるやないか、そう言ったとき、島ちゃんの目から、涙がスルスルっと流れたのを忘れられません。
 ウチにもよくきて、家族と食事もしてくれました。もうきょうは野球の話はやめようや。そう言って、一口ふた口食べたら、また野球の話になる。エエ加減にせいよと言っても、最後の最後まで、結局は、野球の話で終わりました。
 星野のためなら女房も泣かす、それがオレの人生や、そういってカラオケで替え歌を歌ったあのころ…。今になって思えば、懐かしい思い出がいっぱいです。いろんな思い出があり、よく叱られてきた。
 (ここから文面を読まずに)最初に優勝したとき、ドラゴンズが6連敗し、優勝から見放された。札幌での出来事。私が飲めない酒を飲んで夜中に帰ってきた。島ちゃんはじめスタッフが私の部屋で深夜まで私の帰りを待っていた。(コーチミーティングの結論が)「あしたからまた出直そう。走らせるしかない」。なんや、それは。おまえらガン首揃えて、5人も10人も揃えて、走らせるしかない、そういう答えしか出てこないのか。そう言って、スネてベッドに入ったことも思い出します。食事もせずに深夜にみんなで…。せっかく北海道にきたんだから、ラーメンのいっぱいでも食べようと、そして夜中にラーメンをみんなで食べた話を後で聞きました。
 それから連勝、連勝で…。最初に私を優勝に導いてくれたのも島ちゃんです。いつも私のそばにいてくれた島ちゃん。裏方にも気配りし、周りに本当に気配りし、私がヤキモチを焼くほど、選手に好かれ、今、思えば、こういう男は二度と出てこない。名前も育夫。育てる、男を育てる、そういう男でした。奥さんにもずいぶん、ご迷惑をおかけしました。ずっと名古屋で単身赴任。タイガースで(コーチを)終えたとき、もう奥さんにお返ししますと言ったときには、がんに見舞われていました。でも、最後の最後まで、死ぬ1時間前までタイガースのことを心配してた。
 島ちゃん、ほんと、うまく送ろうと思うけど、これ以上、お話できないぐらい。でも必ず、北京で島ちゃん、金メダルを取るように支えて…。そして、オレがあの世にいったときには、「監督、この世にはこんないいチームがあるで、一緒にやろう」と、そう言ってくれるような気がします。島ちゃん、休んだらアカン。ワシがいくまで、あの世でいいチーム作っといて。また一緒にやろう。ずっと一緒やで。とりあえず、休み。それまで待ってて。今は、ちょっとだけ休んで…。サヨナラなんて言わへん。言わん! またな。 


金本選手が

人目もはばからず

手で顔を覆って泣いている姿に

島野さんがどれほど

選手たちから慕われていたかが

計り知れました・・・


ほんとうに 悲しく そして 残念です


心よりご冥福をお祈り申し上げます

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コメント
この記事へのコメント
【梅】 心よりご冥福をお祈りいたします
2001年オフ、野村氏が監督を辞任し、白羽の矢が立ったのが星野さん。
その星野さんが阪神側に出した条件が、当時中日の二軍監督が内定していた島野さんのヘッドコーチ招へいでした。
星野さんが、本当は行きたくないはずの中日球団事務所に足を運ぶシーンを、思い出しました。

思い返せば、星野さんの側にはいつも島野さんの姿がありました。
島野さんの存在そのものが、我らが阪神にとって、大きな戦力でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。
2007/12/20(木) 13:30:08 | URL | 梅太郎 #-[ 編集]
梅太郎さま

星野さんが 阪神にSDとして とどまっているのは

ひとつには 島野さんのため

というのもあったのかもしれませんね・・・

亡くなられてからあらためて その人の懐の大きさを知った

そんな告別式でした

島野さんの阪神に対する愛情に報いるためにも

チーム一丸となって 優勝してほしいです

2007/12/24(月) 08:09:07 | URL | サワヤカプリンセス #2vXCOdzA[ 編集]
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